一隅を照らす。これすなわち国宝なり
人は変えられない。たとえ夫婦でも、親子でも変えられない。

自分に集中しろ、自分がコントロールできることに集中しろ。

安岡正篤師さまの言葉を思い出せ
「一燈照隅・萬燈遍照(いっとうしょうぐう・まんとうへんしょう)」

そして最澄さまの言葉を思い出せ
『一隅を照らす。これすなわち国宝なり』

low-angle photo of lightened candles

「伝教大師最澄さまが嵯峨天皇に宛てた書物に、『一隅を照らす。これすなわち国宝なり』という有名な一文があります。
“一隅を照らす”とは、自らが光となり周囲を照らすという意味。
すなわち、与えられたその場所で全力を出し切って、必要とされる人間になりなさいということです」

安岡正篤師は、天下国家をあれこれ論じるよりもまず自分がいる場所を明るく照らせる人間に、という意味を込めて「一燈照隅・萬燈遍照(いっとうしょうぐう・まんとうへんしょう)」とおっしゃっています。 青年を相手に語られた安岡師の言葉に耳を傾けてみましょう。

おのおのがそれぞれ一燈となって、一隅を照らすこと。 この「一隅を照らす」は、伝教大師がその著『山家学生式(さんげがくしょうしき)』のなかに、提唱しておることです。

なんで片隅を照らすなどと、心細いことを言われたのか――とよく考える人がある。 大光明を放つとでも言ってもらいたいところです。 しかし聞くだけなら愉快だが、人間みずから大光明を放つことなど、どうしてなかなか出来るものではない。

つまらない人間も「世界のため、人類のため」などと言います。 あれは寝言と変わらない。 寝言よりももっと悪い。 なにも内容がない。 自分自身のためにも、親兄弟のためにも、ろくなことができない人間が、どうして世界のために、人類のために、なんて大口きけるか。

それよりも、自分が居るその場を照らす。 これは絶対に必要なことで、また出来ることだ。 真実なことだ。 片隅を照らす! この一燈が萬燈になると「萬燈遍照」になる。 こういう同志が十万、百万となれば、優に日本の環境も変わりましょう。